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切手・葉書・スタンプ

2008年1月27日 (日)

YOKOSO! JAPAN WEEKS

特殊切手を買っちゃいました。
 
「YOKOSO! JAPAN WEEKS」
 −霊峰富士と四季の植物−

 
平成20年に開催する
「YOKOSO! JAPAN WEEKS」の開催を
記念して発行されたものだそうです。
 
セブンイレブン行ったら
たまたま目に入ったもんで・・・ついつい。

10枚組で、
5枚が富士山、残りの5枚が樹や花の写真です。

タイトルと作者は
JPのホームページからの情報に基づきます。

ちょっと怪しいものも・・・(^^;

1.新年の富士(白籏史朗)
 高座山からでしょうかね。

2.春の富士(山梨勝弘)
 箱根からですかね。
 どう見ても秋の富士ですけどねぇ・・(爆)

3.夏の富士(白籏史朗)
 九鬼山からでしょうか。
 夏というには・・・いいとこ初夏って感じですが。

4.秋の富士(山梨勝弘)
 忍野っすね

5.冬の富士(山梨勝弘)
 忍野の紅陽写真美術館の前の桂川沿いからかな。

6.竹林(前田真三)

7.ソメイヨシノ

8.額紫陽花(麻賀進)

9.紅葉(前田真三)

10.水仙(麻賀進)


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2006年12月10日 (日)

戦場の郵便配達

 映画「硫黄島からの手紙」が公開ということで、映画の宣伝なのか、映画に便乗しているのか、関連ネタをあちこちでやっておりますね。フジテレビでは、「硫黄島〜戦場の郵便配達」というドラマとドキュメンタリーの中間のような番組をやっていました。

ドラマとしては手抜きもいいところでしたが、でもこのにわか硫黄島ブームで、硫黄島や戦争のことを知ったり考えたりするキッカケになることは良いことだと思います。私も硫黄島って、その名前と、あのピュリッツァー賞を受賞した米兵が星条旗を掲げる写真しか知らず、そこでどんな戦いが繰り広げられたのかという知識はほとんどありませんでした。

 ところで、あのピュリッツァー賞の写真家、ジョー・ローゼンタール氏って、今年亡くなったんですね、94歳・・・長生きでんなぁ・・・

 閑話休題

Img436 手元にひとつだけですが、戦場からの手紙のコレクションがあります。

 加藤直氏から父・加藤鉦太郎氏に当てた手紙です。2通あるのですが、1通は封書で中味がないので、手紙の本文が読めるのは1通だけ。消印の日付は昭和15年8月25日。読むと、出征して軍に合流して最初に書いた手紙のようです。加藤鉦太郎氏は私の曽祖父、ということで加藤直氏は私の祖父の弟になります。

 部隊は、「中支派遣山脇部隊・・・・」と書いてあります。硫黄島ではなく支那・・・中国からの手紙です。除籍謄本によれば、「昭和17年5月22日、午後2時30分、支那湖北省應山縣魏家店南方2km曹家沖付近に於いて戦死。」この手紙から約2年後のことです。
 
 たまたま、私が中学生くらいのとき、切手を集めていたので、このような手紙を祖父から譲ってもらっていたわけですが、戦争の話は全然聞いたことがありませんでした。父からも母からもほとんど戦時中の話は聞くことはありませんでした。聞くべきだったと思いますし、話さなくてはいけなかったのではないかと思います。などと今ごろ言っても遅いのですが(^^;
 
 話は聞けなかったとしても、皆さんのお宅にも、もしかしたら「手紙」は残っているのではないでしょうか。引っ張り出して読んでみると、新しい発見があるかもしれません。

2006年3月25日 (土)

帝国議会議事堂竣工記念

昭和のコレクションシリーズ・・・だっけ(笑)
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本日ご紹介するのは帝国議会議事堂竣工記念

昭和11年11月7日
記念絵葉書、記念切手、記念スタンプの3点セットになります。

この日竣工した国会議事堂は、現在永田町に立っている国会議事堂そのものです。
古い建物なんですねぇ・・・

紀元二千六百年

さて、「昭和のコレクションシリーズ」です。
  (おいおい、シリーズの名前また変わっとるじゃないか!)

 実はここで紹介し始めているコレクションは祖父が所有していたものです。
 といっても私が小学生か中学生・・・そう、30年くらいまえになりますか、その頃譲り受けたものなんです。おそらく祖父が自分で切手を貼って郵便局にスタンプを押してもらいにいったものでしょう。でも、もう亡くなってしまったので、製作の趣旨を知ることはできません。
img006
さてさて、紀元二千六百年(^^)/

♪金鵄(きんし)輝く日本の、栄えある光、身に受けて
 今こそ祝えこのあした、紀元は二千六百年、ああ一億の胸は鳴る!!
 
 昭和15年、日本中が世紀の祭典に沸き返りました。11月10日には紀元二千六百年式典が行われ、国内はお祭りムード一色、だったらしい・・しらんけど(^^;
 
 戦前、日本では西暦と並んで元号と皇紀が使われていました。皇紀というのは神武天皇が即位した年を皇紀元年としたもので、昭和15年がちょうど皇紀2600年にあたったため、大々的な祝賀行事が行われたのです。
  
 大きく貼ってあるのは、「皇紀二千六百年記念煙草」のパッケージ。そこには「金の鵄(トビ)」が描かれており、神武天皇由来のデザインであることが判ります。
 
 左上に貼ってある切手は、同年11月10日発売の紀元二千六百年の記念切手、図柄は「高千穂の峰」です。「高千穂」といえば神武天皇ゆかりの地でもありますが、戦艦の名前にも使われております。「高速戦艦高千穂」これの完成も同年3月・・・とちょっと話は脱線。

 さて、冒頭に挙げた歌詞の中で、「金鵄」というのは「古事記」に出てくる神武天皇の東征を助けた鳥の事です。「金鵄勲章」なんてのもありました。
 
 実はこれもタバコの銘柄になりました。明治39年(1906)に発売された「ゴールデンバット」、これがちょうどこの昭和15年に敵性語狩りにあって「金鵄」という名前に変わったのです(昭和24年まで)。ちなみに「ゴールデンバット」はまだ販売されてますので、今年でちょうど100年ってことですね・・・と、また脱線。

「皇紀二千六百年記念煙草」の銘柄は「光」
「♪『金鵄』輝く日本の、栄えある『光』、身に受けて」
と、『紀元二千六百年』の歌の中には、この「金鵄」と「光」ふたつのタバコの銘柄が登場しています。

 そこで当時、この歌の替え歌が流行ったそうです。
「金鵄」上がって15銭/栄えある「光」30銭
   /今こそ来たる この値上げ/紀元は二千六百年
    /ああ1億の民は泣く」

「光」は「金鵄」よりちょっとグレードの高いタバコだったようですね(^^)
それに、ここに貼ってあるパッケージには13銭とありますから、かなりの値上げです。
さて、もうひとつ別バージョン

「金鵄」上がって15銭/栄えある「光」30銭
  /それより高い「鵬翼」は/苦くて辛くて50銭
    /ああ1億のカネがいる

2006年3月19日 (日)

デザイン変更

 突然ですが、デザインを変えてみました(笑)
 ほとんど意味はないんですが、黒地のレイアウトを探していたらこういう結果になったということで・・・・(^^;

 北斗の拳劇場版公開(^^)。

   TVで放映されていたのは84〜88年。当時から人気はありました。ちょうど私は大学時代、研究室に好きな奴が居ましてねぇ・・・。私自身アニメってあまり見る人じゃなかったんですが、これは結構見ていた記憶があります(^^;  逆にガンダムとかは一度も見たことないんですけど。

 劇場版ではケンシロウの声を阿部寛がやってますが、TV版では神谷明、キン肉マンと同じでした(^^;  
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 さて、昭和のハガキシリーズです(っていきなりシリーズ化かよ)
今回貼り付けたのは、航空切手が貼られたハガキ。

「亜欧連絡記録大飛行」と書いてある方には「朝日新聞社」
「切手一枚、輝く航空」と書いてある方には「逓信省、帝国飛行協会」とあります。

この「亜欧連絡記録大飛行」とは何ぞや・・・
ということで、ちょっと調べてみました。

 時は昭和12年4月、当時25歳の若き飛行士「飯沼正明」は国産機『神風』号に乗り込みます。

 神風号は、朝日新聞社所有の民間機。写真の電送技術が発達していなかった当時は、航空部が原稿や写真を一刻も速く社に届けるという役割を担い、社運をかけた新聞社同士の航空記録合戦がし烈を極めていたようです。昭和12年元旦、朝日新聞は『亜欧連絡記録大飛行』と銘打った七段抜きの社告を掲載、そしてその操縦士に抜擢されたのが「飯沼正明」だったのです。

そして『神風』は、東京・ロンドン間約1万6千キロを、94時間17分56秒という当時としては驚異的なスピードで飛行、日本初の航空世界新記録を樹立しました。

「飯沼正明」は長野県南安曇郡南穂高村の出身。故郷、安曇野には『飯沼飛行士記念館』があります。

 記録樹立後も彼は『東京・ニューヨーク間無着陸飛行』という夢の実現に向け努力をつづけていたようですが、昭和16年12月8日、太平洋開戦。その数日後の12月11日に、飯沼はマレー戦線で戦死ししたとのことです。

 それにしてもインターネットの時代になって便利になりました。こんなことがいとも簡単に調べられるのですからね。ネット無かったら、かなり手間のかかる話・・・つぅか、調べる気にならないです。
実は『飯沼飛行士記念館』の存在は以前から知ってたんですけど、入ったことは無くて、彼がどんな人だったか全然知らなかったんです。今回、自分の持っているコレクションと結びついて親近感が湧きました。安曇野に出かけたときはぜひ訪れてみたいと思っています。

 さて切手のほうですが、赤の2銭、緑の4銭切手とも2円の寄付金付きとなっていて、その寄付金は飛行場建設や飛行機製造の資金とされたようです。

2006年3月16日 (木)

満州国建国拾周年記念

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フラットベットのスキャナーを買ったらやろうと思っていたことがあるのです。
それが、今回添付した画像。記念切手を葉書に貼って記念スタンプを押したものです。

これは「満州国建国拾周年記念」、昭和17年(1942年)9月15日のスタンプがあります。葉書に印刷してある人物はもちろん満州国皇帝「愛新覚羅溥儀」、いわゆるラストエンペラーです。

葉書自体は、逓信協会が昭和10年4月に発行した満州国皇帝陛下御来訪記念記念絵葉書で、たまたまこれを持っていたので、記念スタンプ用に使ってみたのか、それとも昭和17年にもこの葉書を売っていたのかは定かではありません。

昭和17年の前半は、日本はまだまだイケイケドンドンの世界。
1月には、日独伊軍事協定調印、マニラやシンガポールも占領していきます。
しかし6月にミッドウェー海戦でアメリカ軍に初めて敗北。ここから戦局は悪化。

 これはちょうどその頃の記念切手。きっと大本営発表では戦局の悪化は伝えられず、国民の多くは日本連戦連勝を信じていたかもしれません。

 これからネタ切れのときには、こんなもの紹介するつもりです。
 でもって、いつかは、まともなページにまとめます。

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