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写真・カメラ

2018年12月 8日 (土)

十人十色 ー十五の色ー

来年、1月の終わりから2月初めにかけて、安曇野のギャラリーで写真展を開催させていただくことになりました。 安曇野在住の写真家、石田さんから、声をかけて頂きました。
 
全体としては15名の合同展となっており、私は15分の1ではあるのですが、一人一部屋、約2週間を頂いておりますので、ほぼほぼ個展という趣です。
 
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 会場は、穂高有明のガレットの店「プレ・ノワール」に併設されている「ギャラリーレクラン」です。
 
 レクランにはこれまで2回訪れております。昨年の秋に開催された「写真5人展ーぜんぶつながっている 」と、冬に開催された7人の合同展「写真展 それぞれの冬」を拝見させて頂きました。どちらも石田さんが仕掛け人。5,7ときて、今回は15名。
 
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初日搬入、最終日搬出に対応するのが困難なので、私の展示は1/24or25〜2/3になると思います。
 
 もともとは、今やスッカリ有名になった安曇野在住の山岳写真家、増村さんと以前から・・・いつ頃だったか忘れましたけど・・・知り合いで、それをきっかけとしての繋がりです。
 
 参加表明はしてしまいましたけど、テキトーな写真しか撮っていない今の私にとっては、これは結構大変なイベントでございます。
 
 最近、「何かを伝えたいという思い」がほとんど沸き上がらないんです。かといって無難に、ありふれた富士山の写真を展示するのもなんだか気がひけます。
 
 結局、テーマは日本であまり紹介されることのない、アメリカのグレートスモーキーマウンテンズ国立公園の紹介にしました。 海外の山ですが、写真は日本の低山で撮影したものとほとんど変わらないので、説明がどうしても必要となり、これがまた結構大変です。まぁ何を書こうかと悩むのが楽しくもあるわけですけど。
 
 一応、ヨセミテとか、ザイオン、モニュメントバレー、ブライスキャニオン、アンテローブキャニオン、グランドキャニオンというような、わかりやすい写真も手元には あるんです。でも、そんなのいまさらですものね。てかさ、何度も通えた山ってのがGSMしかないのよね。
 
 
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こんなん造って、レイアウト検討・写真セレクト中
 
 
 かなり昔、大判カメラで富士山などを撮っていた頃は、お店の壁に全紙や半切に引き伸ばした写真を何枚か掛けさせていただいていたこともあるのですが、ここ20年ばかりはそういうこともなく、プリントするとしてもポストカードサイズ程度という有様。
 
 当時使っていた全紙サイズの額を使おうと目論んでいるのですが、そもそも大伸ばしをしようとするつもりで撮っていない写真ばかりで、ちょっと拡大してみると衝撃のブレだったり、ボケだったりで、愕然としております。
 
 他の出展者の皆様は実力、実績とも十分な方ばかり。これはヤバイと危機感も感じつつ、策を練っているところです。冬の安曇野など、遠くから訪れるなどということはまずないかと思われますが、機会があればお立ち寄り下さい。土日は極力在廊するつもりです。
 

2018年9月17日 (月)

フルサイズミラーレス時代

NikonCanonからフルサイズミラーレスシステムが発表されておりますね。
 
Nikon ZとEOS R
 
それぞれ9月、10月に発売という、なかなかのシンクロぶりです
 
SONY α7の発売から5年もうこれからは一眼レフでは戦えないという認識はどちらも同じだったのでしょう。
 
 
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写真は本文と関係ありません。
 
基本仕様は
 
Nikon Zが
 4575万画素、max9.0コマ/秒、max感度 ISO 25,600
D850 (2017年9月発売)の
 4575万画素、max7.0コマ/秒、max感度 ISO 25,600
とほぼ同じ。
 
EOS Rが
 3030万画素、max8.0コマ/秒、max感度 ISO 40,000
 で
EOS5DⅣ (2016年9月発売)の
 3040万画素、max7.0コマ/秒、max感度 ISO 32,000
とほぼ同じ。
 
発売時期に差があるわりには、進化させてないなぁ・・・という印象も受けますね。
スペックを詳細に見たわけではありませんが、「驚き」はないような・・・。
レンズ資産があるとはいえ、最近はマウントアダプターが進化してますからね〜
大丈夫なんですかね。
 
一眼レフからミラーレスへの転換って、たぶんレンジファインダーから一眼レフへの転換に似てるんだと思うんですね。
 
一眼レフの実力を世界に認識させた名機「ニコンF」の発売が1959年、レンジファインダーの完成形と云われた「ライカM3」が生産されたのは1966年まででした。
 
ライカも1965年に一眼レフ「ライカフレックス」を発売してます。しかし、このカメラは「素通しファインダー」という一風変わった仕様で、中央のマイクロプリズム部分でしかピントを合わせることができないものだったそうです。露出計も外部測光という時代遅れの代物。当然ながら売れない・・・・。
成功体験を引きずった王者からの転落コースの典型(^^;;
 
何度かモデルチェンジした後、結局、1976年にミノルタXEをベースにしたR3を発売、1994年のR7までミノルタ機ベースの機種が続きました。欲しかったなぁ・・・ベースになったXEもXDも好きなカメラだったんですよね〜。
 
話が脱線しましたが、そういうことにならないように、2社には頑張って欲しいものでございます
 
 
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写真は本文と関係ありません。
 
 
で、また脱線したほうに話を戻しますけど(笑)
 
ライカって、デジタルへの転換はびっくりするほど早かったですよね。
あたしはM型ライカって、フイルムと心中するのかと思ってましたから。
2006年9月発売の「ライカ M8」で、シリーズ名称も変えずにシレッとデジタル化しちゃった。これには驚きました。過去の教訓が活かされたのでしょうか。
 

2018年9月13日 (木)

Raw現像って表現はどうなのよ

ずっと沖縄ネタを書いていたら

 
流石に飽きてきて
 
つまらない呟きを書きたくなりました。
 
ずーっと違和感を持っているんですけど
Raw現像って表現はどうなのよ」って話です。
 
Rawデータを、
純正ののRAW現像ソフトやPhotoshop Lightroomで調整して、
TIFFやJpegデータにすることを「現像する」って言いますよね。
 
そもそも「RAW現像ソフト」なんて言っちゃってますしね。
 
もうすっかり定着した言葉ですけれど、
あたしはこの作業を「現像」って呼ぶことに
      メチャメチャ抵抗があるんです
 
だから自分自身で「RAWデータを現像した」と表現したことはありません。
気持ちが悪くて使えません。
 
なんて言うかというと、「いじった」とか「盛った」とか・・・そんな感じ。
 
 
日本語の「現像」って、そのまんま「像を現す」って意味じゃないですか。
ある意味、画像データを、ディスプレー上に表示させた時点で既に現像ですよ。
 
画像を編集、調整することは、「現像」という言葉の意味とは違いますよね。
 
なんでそれを「現像」って表現するかっていうと、英語で「Development」だからですよね。
 
写真用語のDevelopment=現像をそのまま使っているだけ。
 
「Development」には、開発とか、発展とか、進展とか、そういう意味があるわけですから、RawデータのDevelopmentで全然問題ないですよ。
 
でもよ、「現像」にはそんな意味はねぇだろーが。
 
機械翻訳かよ!!
 
 
業界団体には今一度考え直して頂きたいところだが、
そのうち広辞苑や現代用語の基礎知識にこの意味が載るのであろう。
真に嘆かわしいことではある。
 

2018年1月12日 (金)

「生誕100年 ユージン・スミス写真展」など

江戸に出向いたのは一番の目的は、浅草で「笊かぶり犬」を買うことだったのですが、もちろんそれだけでは勿体ないので、写真展もいくつか。
 
 
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東京ミッドタウン
 
 
まずは六本木のフジフイルム・スクエアで開催していた
 
  2018年新春を飾る日本の美
  日本山岳写真界の至宝・白籏史郎
  フジクロームで描く 美しき日本の屋根
 
修飾語いっぱい(笑)
 
「写真界の至宝」も会場にいらっしゃいました。
   拝んできました。
     有難い、有難い、南無阿弥陀仏・・・・
 
Wikipediaによると、1933年生まれなのだそうですね、
            ということは御年84才(^o^)
 
誕生日は・・・2月23日、富士山の日でございます。
 
久々に拝見した、シノゴフイルムからの大伸ばし
           やはり迫力がありました。
  デジカメで撮るのとは気合いと覚悟が違います
 
 
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東京ミッドタウン
 
 
次に訪れたのは、東京都写真美術館
 
生誕100年 ユージン・スミス写真展
 
ユージン・スミスといえば「水俣」、「水俣」といえばユージン・スミス。水俣病は彼の写真とともに語られる・・・そんなイメージが日本ではあるのではないでしょうか。少なくとも私はそうです。
 
彼は、グラフ雑誌『ライフ』を中心に「カントリー・ドクター」,「スペインの村」,「助産師モード」,「慈悲の人シュヴァイツァー」など数多くの優れたフォト・エッセイを発表し,フォト・ジャーナリズムの歴史に多大な功績を残したドキュメンタリー写真家です。若かりしときには太平洋戦争の硫黄島、沖縄戦も取材しています。「水俣」は彼にとっての最後の大仕事でした。
 
 
今回の写真展では、スミス自身が生前にネガ、作品保管を寄託したアリゾナ大学クリエイティヴ写真センターによる協力のもと、同館所蔵の貴重なヴィンテージ・プリント作品が150点展示されています。
 
もちろんよく知られた写真なので目新しさがあるわけではありませんが、主題を浮き上がらせるカメラワークとプリント技術に息をのみます。
 
 
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東京都写真美術館
 
 
写美では、これだけにしようと思っていたんですが、
折角来たのだからと、あとの2つも。
 
 無垢と経験の写真 日本の新進作家 vol. 14
 
 アジェのインスピレーション ーひきつがれる精神ー
 
アジェ(1857-1927)は近代写真の父とも呼ばれる、フランスの写真家
 
彼は41 歳のときから30年間にわたって、8,000枚以上の写真を撮影し、歴史的建造物や古い街並み、店先や室内、看板、公園、路上で働く人々など、消えゆく運命にあった「古きパリ」を体系的に記録し、図書館や美術館、博物館などの公的機関や画家、建築家などのアーティストに販売したそうです。
 
ひきつがれる精神ということで、アジェに憧憬を抱き、手本としてきた写真家たちの作品も展示、マン・レイスティーグリッツ荒木経惟森山大道深瀬昌久・・・
 
次の時代は Google Street View に引き継がれるのでしょうか。
 
 
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2017年11月23日 (木)

お祭とスナップ写真

 ストリートスナップ街中で不特定多数の人を撮影するスナップ写真が、最近肩身が狭い状況になっており、時と場合によっては撮影者が訴えられるなんて、こともよく聞きます。
 
 盗撮というとらえ方をされてしまうのですよね。
 
        プライバシーを侵害されたと。
 
 
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 今、街中で撮影したTV映像などでも、写ってしまった無関係の人の顔にぼかしが入れられていることが多くなってますよね。いささか過剰な自己規制のような気がしますが、無用なトラブルを避けたい気持ちが強いのでしょう。
 
 
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これなら顔のぼかしが無くても肖像権の侵害無し!!
 
 
 実際には、パブリックな空間にいる人を写真に写したとしても、写された人が、それによって著しい不利益を被ってしまったということが無い限り、プライバシーの侵害と判断されることは無いと私は信じております。ただ実際にどう判断されるかは個々の案件によって異なりますし、裁判の結果次第なんですが。
 
 
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 とはいえ、私も公開に当たっては、そういう問題が起こりそうな人物が写っていないかということのチェックはします
 
 やばそうな人が写っちゃってるなと思ったら、流石にそれは公開しません。
 
 カップルの写真もこの2人は不倫じゃないかどうか・・・
              って、自分なりに考えたりして。
 
               気休めかもしれませんが(笑)
 
 
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 で、お祭の話です。
 
  観光協会が外部に宣伝している祭、要するに観光資源となっているお祭の参加者は、もうパブリック中のパブリックですから、自由に人間主体のスナップを撮影できる希有な機会と言えると思います。
 
 山車に乗っかったら
     もうプラべートがどうとか言っちゃいけない(笑)
 
 
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 それでも、一応公開にあたっては気を遣っておりまして、少なくとも画面内の主要人物が「いい顔」で写っているものをセレクトしています。主要人物の中で1人でも半目とかボーッとした顔で写ってるとか、そういうのはできる限り公開写真から外します。
 
 ただ、私の主観で「いい顔」かそうでないかを判断しているので、本人にとってはどうだか分かりませんけどね。
 
 例えば、競り合いでの「怖い顔」は私は「いい顔」と判断するんだけど、本人とってはどうなのかなぁ〜って、心配になることもあるんですよ。プロフィール画面に使ってもらっているのを発見して、「ああ、よかったんだ」と安心したりして。
 
 
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 女性の肌なんかも気にしますよね〜。最近のカメラは性能良すぎて、写らなくてもいいものまで写っちゃう。エッジをぼかしたり、白く飛ばしたり、人知れずいろいろやってるんです(笑)
 

2017年10月29日 (日)

Sony α7R IIIが欲しくなってます

 SONY α7R III が、じわじわ欲しくなっております。
 
 
 
 
 有効約4240万画素の35mmフルサイズ裏面照射型CMOSセンサーというのは、Ⅱと変わらないわけですが、高速処理化してAF/AE追随高速連写は5コマ/秒から10コマ/秒へ。
 
 AF性能もα9に搭載した新AFアルゴリズムを最適化して、低照度時のAF速度や動体追随性能が従来比最大約2倍。位相差AFの測距点数は399点と変わりませんが、コントラストAFは従来の25点から425点へ
 
 高感度性能は、ちょっと上がっただけって感じですが、本体手ぶれ補正も1段分向上ということになっているので、手持ち撮影範囲は確実に広がっていそうです。
 
 一見「Ⅱ」と際だった差があるとは見えないのだけれど、確実に正常進化して成熟したなぁという印象です。
 
 SONYのミラーレスって、マウントアダプターとして、SIGMAのMC-11SONYのLA-EA4を揃えると、私が所有しているのCanonのEFレンズとαレンズが全部AFで使えるようになるのです。なので乗り換えのハードルがとっても低いのですよ。
 
 発売は11月25日。ヨドバシ.comでは既に価格が表示されていて、価格はおそらく40万円台程度。報告されているところによると、同時に発売される標準ズーム「FE24-105mm F4 G OSS」ってのも良いらしいねぇ。
 
 将来的には主力をこっちに移行させるつもりではあるのですが、このタイミングで踏み切るかどうか。今後、相場が下がると思われるα7RⅡで凌ぐ手もあるんですよね。
 
 
 2017上半期、レンズ交換式カメラのシェアは、一眼レフとミラーレスで56:44だったそうです。これだと少なくとも1年くらいで拮抗、または逆転でしょうね。ミラーレスに強いソニーのシェアがさらに上がるのは確実。
 
 5月に投入されたα9は確実にスポーツや報道のプロカメラマンに浸透しつつアリ、この分野で半世紀以上続いたCanon、Nikonの牙城を崩す日も近そう。大口径望遠レンズ「FE 400mm F2.8 GM OSS」の発売予告もされましたし、2020にはオリンピック会場のカメラ取材ゾーンの景色が変わっているんじゃないかなぁと思います。
 
 SONY αの1号機、α100からのユーザーで、しかも、SONY αの前世、MINOLTA機を入れれば、 SRシリーズからかれこれ40年くらいのお付き合いの私にとっては、感慨深いモノがあります。
 
 
Facebookのなつかしカメラ紹介アルバムのリンクを・・・↓
 
 
 

2017年10月15日 (日)

高ボッチ2日連続撃沈の記

 安曇野に写真展を観に行った話を先に書きましたが、せっかく信州に行くんだから、写真も撮りたいよねってことで、高ボッチ高原に寄っていきました。
 
 
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高ボッチから穂高連峰を望む
 
 
 午前2時頃現地に到着したときには、既に車が一杯。結構遠方、関西方面のナンバーの車も多数(@o@)。皆さんが狙うのは、「諏訪湖越しの富士山」、もしくは「雲海越しの富士山」です。あたりは霧で真っ白というのに、撮影適地には三脚が立ち並び、既に隙間が無い状態。
 
 
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  天気予報では少なくとも朝までは晴れない予報だったんですが、こんなに人がいるんだったら晴れるんじゃないか・・・と思ってちょっと期待しちゃうくらい。でも夜明けが近づいたらポツポツと雨が降り出す始末で、結局は撃沈!。皆さん勝算があって待機しているわけじゃぁないんですね(爆)
 
 
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明るくなってからは中央アルプスも姿を現しました。
 
 
 本当は行きだけのつもりだったんですけれど、帰りも高ボッチで夜明かししてみましたがやっぱり撃沈。天気を読んで狙ってきているわけじゃぁないんで、まぁこんなもんでしょう。
 

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 皆さま霧が晴れないことを悟ると、皆さんそのままお帰りになるのですが、折角来たんで、あたしは霧の風景を撮りながらお散歩
 
 
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 朝露を沢山つけてキラキラ輝いていたミチシバを撮っているのを見て気がついたのか、親子連れがスマホで同じように撮り出しました。諏訪湖も富士山も見えなくても、宝石は路傍に転がっているのです。
 
 
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自然写真家5人展@安曇野ギャラリーレクラン

 10月8日、安曇野市有明にあるギャラリーレクランで9日まで開催されていた自然写真家5人の合同写真展を観にでかけました。ギャラリーレクランは安曇野山麓線、林の中にあるフランス郷土料理・ガレット専門店「ブレ・ノワールに併設されているギャラリーです。
 
 この写真展は安曇野で「写真工房 道」を運営されている自然写真家、石田道之さんがキーマンとなって実現したとのこと。
 
 5人のうちのひとりで、Facebookの友人でもある山の写真家増村多賀司さんとは、十数年来の付き合い。前回顔を合わせたのは、一昨年の年末でしたので、久しぶりの再開となりました。
 
 
増村さんと(増村さんの作品の前で)
石田道行さん撮影 石田さんのfacebookページからリンク
 
 
 増村さんの作品は、webで拝見しているのでとくに新鮮味はありませんでしたが(笑)、モノクロ含め綺麗なプリントでした。良いですよね〜プリントは。iPhoneパノラマ写真もなかなかの仕上がり。あれだけのクオリティーがあればiPhone写真だけで一部屋分作品展示できるんじゃないでしょうか。スマホ恐るべし
 
 森の景色の一部を切り取ってみせる石田さんの作品は流石と思わせるものでした。自作されている木製の額縁が作品を引き立ています。森にはひとつの形は無い、いろいろなもの混じり合ってバランスを取っているということを表しているように、額縁も長方形だけではなく、さまざまで、それらが見事な調和を見せていました。
 
  ギャラリーそのものも良い造りなんですよ。ちょっとビックリするくらい。展示室は5部屋に別れていて、利用料金は1室×1日間 5,000円、5室×5日間だと75,000円だそうです。
 
 石田さんからは松本の旧家の屋根裏で昭和初期に撮影されたガラス乾板を発見し、それを世に出すまでの顛末を伺うことができました。
 

石田さんと
増村多賀司さん撮影 増村さんのfacebookページからリンク
 
 
横内勝司写真集  時を超えて」に纏められた写真がそれです。
 
 横内さんが生きたのは昭和初期(1902〜1936年)。
 
 彼が使用していたのはガラス乾板でした。イーストマン・コダックがセルロイド製のロールフイルムを発売したのは1889年、ライツ社が135フイルムを使用する、いわゆるライカ判のカメラ(Ur Leica) を試作したのが1914年I型が1925年に市販されているのですが、まだフイルムカメラが日本の一般のアマチュアに浸透するには至っていなかったのでしょう。
 
 Wikipediaをみると「日本では1931年に起きた満州事変を契機としたインフレで一般購買力が増大してアマチュアに写真が流行し、その際アマチュアは旧来の嵩張って重く不便な乾板カメラを避けてロールフィルムカメラを購入したので、たちまちロールフィルムが一般化した」というような記述があります。また故田中政雄氏は『クラシックカメラ専科No.2、名機105の使い方』の中で1935年を「乾板とロールフィルムの交替期に当たる」と位置づけていますので、横内さんはフイルム時代の本格的到来の直前に夭折されたということになりますね。
 
 流石に乾板写真機では、自然な動きの中で絶対非演出スナップなどは困難なので、もちろん「やらせ」「演出」はありなのですが、自然な様子を捉えたように見えるスナップ風の写真が数多く残されているのに驚きます。遠望した槍穂連峰の槍ヶ岳を目立たせるために、原版に手を加えた・・・今風に言うと「盛った写真」もあって、当時の横内さんの写真に対する取り組みの様子が身近に感じられます。彼が今の時代に生きていたら、ひたすら「インスタ映え」を追求しているかもしれません。
 
 石田さんが現代に蘇らせたこれらの作品は、昨年から、このギャラリールクランをはじめ、各地で展示されています。検索してみるとデジカメWatchの記事こちら)などでも紹介されてました。
 
 これからというところでは、2017年11月10日から16日まで名古屋の富士フイルムフォトサロンで写真展が開催されます
 
 写真集はギャラリーレクランでも販売されています。私は、どさくさの中、購入せずに引き揚げてしまいましたが、次は「ブレ・ノワール」でぜひ食事をして、買い求めようと思っています。
 
 あと気に入ったのは糸魚川の高野さんの「」の写真。特別なモノが写っていないような写真が好きなんです。掛け軸型のディスプレーで、画面の横を開放してあったのも絵に広がりが感じられて、とても良かったです。
 

2017年9月16日 (土)

写真展「澤田教一 故郷と戦場」@IZU PHOTO MUSEUM

 9月16日に、IZU PHOTO MUSEUM で開催中の写真展
 
  「澤田教一 故郷と戦場 」を観に行ってきました。
 
 
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 澤田教一は青森県生まれのいわゆる戦場カメラマン
 
UPIのスタッフカメラマンとしてベトナム戦争で活躍し、ピュリッツァー賞ロバート・キャパ賞も受賞した、戦場カメラマンの中では「スター」と言ってもよい存在 です。
 
 展示内容は、昨年青森県立美術館で開催された写真展をIZU PHOTO MUSEUMの会場に合わせて若干アレンジしたものだそうです。先月、日本橋の高島屋で、澤田教一展が開催されていましたが、それとはかなり内容が異なるものです。(高島屋には観に行けなかったので正確には分かりませんが)
 
 正確には、昨年の青森の写真展のタイトルには頭に"生誕80周年"という言葉がついておりました。生きておられたら80歳なんですねぇ。「故郷」とあるのは、澤田が戦争カメラマンになる前、故郷の風景や、三沢基地の様子を撮影した写真が今回初公開されているからです。
 
 なぜこの日に出かけたのかと言うと、生井英考さん(立教大学教授)、高橋しげみさん(青森県立美術館学芸主幹)×、小原真史さん(IZU PHOTO MUSEUM 研究員)の3氏によるトークイベントが開催される日だったからです。とは言っても、天気が良かったら行かなかったかもしれないんですけどね。台風の影響でちょうど良い天気?だったのが幸いしました。
 
 
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 以下はそのトークイベントで話されたネタを中心にした備忘録・・・です。
 
 2014年に青森県立美術館が澤田教一夫人のサタさんから、フィルムや電送写真原稿など、多くの資料を寄託されました。そのときフイルムのほとんどにはキャプションもなくバラバラの状態で、どれが、何時、何処で撮られたものなのか全く分からない状態だったのだそうです。
 
 それらを、出版物に掲載された写真や、撮影場所や日時の分かっている電送写真原稿と照らし合わせ、撮影場所と日時、撮影した順番を特定していったとのこと。これは大変手間のかかる作業で、立教大学の生井先生のゼミの学生の手も借りて行われたと話されていました。
 
 
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IZU PHOTO MUSEUM
 
 
 澤田はUPIという通信社のカメラマンです。写真を撮るのが仕事ですが、現像、プリント、セレクトは仕事ではありません。その仕組み故、必ずしも彼が世に出したかった写真が世に配信され世に出たわけではないのです。
 
 生井先生によると、たとえば通信社のカメラマンが米兵を撮影した場合は、名前、所属部隊、出身地を必ず確認して記載するのだそうです。それは、それが取るに足らない写真でも、その兵士の故郷の地方新聞に紹介すれば売れる可能性があったりするからなんですね。よく考えて見れば当たり前の話で、通信社は写真を売ってなんぼの商売ですから。
 
 今回手に入手できたオリジナルのネガを解析することで、配信、発表された写真だけからでは分からない「彼が何により多くレンズを向けていたか、「どんなタイミングでシャッターを切っていたか」が明らかになるはず・・・それが今回の企画の重要なテーマのひとつだったのだそうです。展示では、デジタルのスライドショーなども使い、撮影された写真をシーケンスで見せることによって、澤田本当に撮りたかったもの、伝えたかったものは何なのかが感じ取れるように工夫されています
 
 
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Patoriots Point Naval and Maritime Museum
サウスカロライナ USA
南ベトナムサポートベースの再現展示
 
 
 小原真史(IZU PHOTO MUSEUM 研究員)さんの話で、印象に残ったことはふたつ。
 
 ひとつは子供の頃、教科書か何かにかに載っていた「安全への逃避」の写真を、自分はベトコンの被害から逃げてくる農民の姿として認識していたと言っていたことです。私がこの写真に出会ったのは、撮影された背景も知っての上でしたので、そういう誤解はしなかったと記憶していますが、写真だけを見せられれば確かにそうですよね。
 
 
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私が澤田の名前を知ったのは写真を始めてまもなく、だから今から35年ほど前、青木冨貴子著のドキュメンタリー「ライカでグッドバイ」によってでした。今も手元にありますが、もう酸化しちゃって読む気にはならないですね。
 
 
 もうひとつは、ピューリッツァー賞受賞作であり、日本では超有名な写真「安全への逃避」が、世界的には忘れられた映像であるということです。日本に住んでいるアメリカ人何人かに聞いても「沢田の写真は知らない」と。試しにGoogle.co.jpで日本語でベトナム戦争の画像をググると数枚目に出てくる「安全への逃避」が、Google.comで”Viet Nam war"を検索したときには全く出てこない。これは軽くショックでした。
 
 ベトナム戦争の報道写真でピューリッツァー賞受賞作として有名なのは、テト攻勢の際、南ベトナムの国家警察長官グエン・ゴク・ロアンが解放戦線の捕虜を路上で撃ち殺す瞬間を撮影した「サイゴンでの処刑」や、ナパーム弾で大やけどを負い、全裸で逃げてくる少女を撮影した「Napalm Girl」(facebookで児童ポルノと認識されて削除された騒動が記憶に新しいですね)で、「安全への逃避」はこれらと比べて圧倒的に知名度が低いのですよ。絵としてインパクトが弱いというのがひとつの理由のようにも思えます。
 
 
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Patoriots Point Naval and Maritime Museum
サウスカロライナ USA
南ベトナムサポートベースの再現展示
 
 
 生井先生が最後にメディアによるミスリードの話をされました。
 
 1968年1月30日未明、暗黙のうちに休戦期間であるとされていたテト(旧正月)の期間に解放戦線が一斉に隆起して、サイゴンなどにゲリラ攻撃を仕掛け、アメリカ大使館などが一時的に選挙された、いわゆるテト攻勢
 
 解放戦線側にとっては成果の割に損害が大きく、作戦としては失敗とされているのですが、大使館等が占拠されたという事実の報道が、アメリカ市民に衝撃を与え、世論を「反戦」、「ベトナム撤退」に大きく傾かせるきっかけとなったのだそうです。
 
 現地から見れば、不意打ちでゲリラ攻撃をされれば、ある拠点が一時的に占拠されるのは当たり前のこと(今だって数人のゲリラや強盗に立てこもられるってことありますから)です。しかし、一般人は「大使館が占拠」されてしまうような事態が起こるということは、かなり劣勢だという判断をしてしまいます。これはベトナム戦争の終結は間近であると知らされていたアメリカ国民にとっては大きな衝撃だったでしょう。
 
 
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Patoriots Point Naval and Maritime Museum
サウスカロライナ USA
南ベトナムサポートベースの再現展示
 
 
 報道されたことは事実でも、受け手はこれまで持っている自分の知識、常識に照らし合わせて全体を理解しようと思いますよね。最近流行の言葉では「バイアスがかかる」というのでしょうか。ベトナム戦争の場合は、それが良かったのだと思いますが、そうではない場合もまた多いと思います。
 
 1965年9月6日に撮影された「安全への逃避」が世界から忘れ去られてしまっている理由は「絵としてのインパクト」の弱さはもちろん、「世論に与えた影響の小ささ」が大きいと思います。「サイゴンでの処刑」はまさにテト攻勢の際に撮影されたもの、Napalm Girlは北爆が再開された直後、1972年6月8日の撮影で、いずれも米国内に強烈な印象を与え世論を大きく動かした写真ですから。
 
 
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SS Alabama Battleship Memorial Park
アラバマ USA
ベトナム戦争でも活躍したT80戦車
 
 
 トークイベントの最後には元UPI写真部長の今城力夫さんが飛び入りで登場。澤田さんが亡くなったときの現地の状況などを話されました。沢田はプノンペンの南約30キロの国道2号線上で襲撃され、同行のプノンペン支局長フランク・フロッシュと共に命を落としています。おそらくその襲撃はクメールルージュの兵士によるものではなく、モノ盗りによるものだろうというのが今城さんの見解。当時のカンボジアは誰もが盗賊化してしまうような治安の状況だったとのことでした。
 
 自分のためのメモとして書いた部分もあって長文になってしまいました。
 
 またベトナムへ行きたい気持ちが強くなってきましたわ。
     もっとサイゴンを歩きたい。フエにも行きたい・・・。
 
澤田教一 故郷と戦場」は
静岡県長泉町東野クレマチスの丘内のIZU PHOTO MUSEUMにおいて、
2017年9月9日(土)― 2017年12月25日(月)開催。
大人 800円 でございます。
 
 
20170916dsc00201
 
いつの間にかこんなものが・・・@クレマチスの丘
 

2017年7月30日 (日)

この夏、なぜか荒木経惟

天才アラーキーこと、
   御年77才の写真家荒木経惟の写真展が
             この夏ラッシュです。
 
 
6月のエプソンイメージングギャラリー エプサイトでの
          「花遊園 」を皮切りに、
 
CHANEL NEXUS HALLでは、
 
 
20170729dsc09489  
 
で、現在開催中なのが、次のふたつです。
 
                 @東京都写真美術館
 
            @東京オペラシティ ギャラリー
 
 
「花遊園」は残念ながら見逃したのですが、あとの3展は制覇させていただきました。
 
 生誕何周年というわけでもないのに、なぜ、今「荒木」なのかというのはサッパリ分からないのですが、写狂老人の後期高齢写などと自らを定義しながらの、精力的な仕事ぶりには目を見張るばかりです。
 
 あたしが、意識して写真を始めたのは1982年なのですが、天才アラーキーの名は、それ以前から存じ上げておりました。当時、少年にとって写真雑誌なんてのはエロ本(もうこれ死語の世界っすね)の代用のようなもので、逆に写真雑誌っぽいタイトルのエロ雑誌も多かったような気がいたします。
 
 
20170729dsc09529  
いきなり壮観www@東京オペラシティー ギャラリー
週刊大衆の「人妻エロス」というシリーズで
素人モデルさんはみんな応募してくるんだそうです。
比較的若い子もいますが、後期高齢者くらいの方も・・・
 
 
 そんな雑誌の代表ともいえる?白夜書房の「写真時代の紙上で、荒木センセイは大活躍しておられました。そんな雑誌とは言っても、今ググってみますと、森山大道さんのような、今では大御所と呼ばれる先生方も参加されていた、たいそうな雑誌だったようなことが書かれています。ホンマかいなと思ったりはしますけれど。
 
 
20170729dsc09531  
 
 自分が写真を始めてからは、とくに好きな写真家でもなんでもなかったので、荒木氏の作品を見る機会は減ったものの、奥様である陽子さんの死、そして、それを題材にした写真集の制作など、折に触れて話題は耳に入ってきました。
 
 
20170729dsc09534
東京オペラシティー ギャラリー
 
 
 荒木さんの写真は、自らよく語っているとおり私写真なんですよね。コマーシャル用の写真じゃない。有名人を被写体にするわけでもない。そもそも万人ウケする綺麗な写真でもない。むしろ一般の紳士淑女の皆様方が眉をしかめる類いの写真ですよね。それでも、これほど長期にわたって第一線で活躍できてるってのは、ホントに凄い写真家だと思います。自らを「天才」と称して写真家自身の存在感を全面に押し出すという自己プロディース力にも長けていたというのもあるでしょうね。電通出身ですし。
 
 
20170729dsc09533  
東京オペラシティー ギャラリー
 
 
と、ぐだぐだと思い出話と勝手な話を書いてしまいましたが、百聞は一見にしかず。
東京都写真美術館(恵比寿)と東京オペラシティー(新宿)の写真展はまだ開催中です。ぜひ家族連れで訪れ、気まずい雰囲気になって下さいwww。
 
 
20170729dsc09522
東京オペラシティー
 
 

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