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2017年10月17日 (火)

草紅葉の八島湿原

 9日、霧の高ボッチから岡谷に下りて、再び和田峠まで上ってビーナスラインへ、八島湿原の駐車場に車を入れました。
 
 
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車山に少し雲がかかっていたものの、良い天気です。高ボッチで粘っていなかったほうが良かったかなぁとちょっと、いや、かなり、後悔。
 
 
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湿原一周するような元気はないんで、とりあえず鎌が池まで。
 
 
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駐車場は満車では無く、初夏や、夏に比べると空いているような気がしました。秋はそれほど人気がないのかなぁ。
 
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ババヤマボクチ
 
 
確かに霧ヶ峰の代名詞「花」は少ない季節ではあります。
 
 
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でもそれなりに綺麗なんじゃ無いかと僕は思うのですけれど。
 
 
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ノコンギクの最後の煌めきを撮って、八島湿原を後にしました。
 
 
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白樺湖と蓼科山なんぞを撮りながら、茅野に下って帰還。

2017年10月15日 (日)

紅葉の栂池自然園へ

 写真展のあと、紅葉ぐらい撮っていこうと、白馬の栂池自然園まで足を伸ばしました。栂池自然園は標高1,900mに位置する雲上の高層湿原です。かつては車で入り口まで行けたのですが、今は栂池からはゴンドラ2本を乗り継いで登ります。私にとっては車で行けなくなってからは初めての栂池。
 
 
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下りは満員のロープウェー
 
 
 下りの最終は16時40分とのこと。栂池の駐車場に車を入れたのが15時頃でして、もうほとんど時間が無い。チケット売り場では「もうこの時間では栂池自然園を一周することは出来ませんが」とか言われました。しゃーないっすな。栂の森駅でゴンドラからロープウェーに乗り換え。乗車定員71名のロープウェーに乗客は私1人だけでした。
 
 
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 終点「自然園駅」に到着。下りのロープウェー待ちの列がすげぇ・・・
 
 
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 栂池自然園に滞在出来るのはⅠ時間弱。園内にはまだハイカーが沢山歩いており、アマチュア写真家の集団も三脚を立てて粘っています。
 
 
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 ビックリしたのは、三脚の上にあるカメラ。ハッセルマミヤブロニカ・・・・そしてシノゴフィールドカメラも。ロープウェーはタイムマシンだったのでしょうか。1ヶ所でこんなにフイルムカメラを見たのは久しぶりでした。あたしは、三脚も持たずにEOS5DⅢとX-T20ぶら下げてぶらぶら撮影。まだ明るいんで、シャッター速度は結構稼げます。
 
 
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 やっぱり栂池自然園は秋の鉄板撮影地だなぁと改めて思いました。最初にココを知ったのは1982年のこと。同じカメラ屋さんの常連になっていた信州大学の先輩に、現像上がりの写真を見せてもらってからです。メッチャ綺麗じゃんと感激し、翌年に初めて出かけたのです。その後、白馬大池経由の登山口としても利用させてもらいました。でも、今回のような午後、遅い時間に訪れたのは初めてだったような気がします。朝の順光線とは違い斜光に浮かび上がる紅葉の木々が見事でした。
 
 
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高ボッチ2日連続撃沈の記

 安曇野に写真展を観に行った話を先に書きましたが、せっかく信州に行くんだから、写真も撮りたいよねってことで、高ボッチ高原に寄っていきました。
 
 
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高ボッチから穂高連峰を望む
 
 
 午前2時頃現地に到着したときには、既に車が一杯。結構遠方、関西方面のナンバーの車も多数(@o@)。皆さんが狙うのは、「諏訪湖越しの富士山」、もしくは「雲海越しの富士山」です。あたりは霧で真っ白というのに、撮影適地には三脚が立ち並び、既に隙間が無い状態。
 
 
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  天気予報では少なくとも朝までは晴れない予報だったんですが、こんなに人がいるんだったら晴れるんじゃないか・・・と思ってちょっと期待しちゃうくらい。でも夜明けが近づいたらポツポツと雨が降り出す始末で、結局は撃沈!。皆さん勝算があって待機しているわけじゃぁないんですね(爆)
 
 
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明るくなってからは中央アルプスも姿を現しました。
 
 
 本当は行きだけのつもりだったんですけれど、帰りも高ボッチで夜明かししてみましたがやっぱり撃沈。天気を読んで狙ってきているわけじゃぁないんで、まぁこんなもんでしょう。
 

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 皆さま霧が晴れないことを悟ると、皆さんそのままお帰りになるのですが、折角来たんで、あたしは霧の風景を撮りながらお散歩
 
 
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 朝露を沢山つけてキラキラ輝いていたミチシバを撮っているのを見て気がついたのか、親子連れがスマホで同じように撮り出しました。諏訪湖も富士山も見えなくても、宝石は路傍に転がっているのです。
 
 
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自然写真家5人展@安曇野ギャラリーレクラン

 10月8日、安曇野市有明にあるギャラリーレクランで9日まで開催されていた自然写真家5人の合同写真展を観にでかけました。ギャラリーレクランは安曇野山麓線、林の中にあるフランス郷土料理・ガレット専門店「ブレ・ノワールに併設されているギャラリーです。
 
 この写真展は安曇野で「写真工房 道」を運営されている自然写真家、石田道之さんがキーマンとなって実現したとのこと。
 
 5人のうちのひとりで、Facebookの友人でもある山の写真家増村多賀司さんとは、十数年来の付き合い。前回顔を合わせたのは、一昨年の年末でしたので、久しぶりの再開となりました。
 
 
増村さんと(増村さんの作品の前で)
石田道行さん撮影 石田さんのfacebookページからリンク
 
 
 増村さんの作品は、webで拝見しているのでとくに新鮮味はありませんでしたが(笑)、モノクロ含め綺麗なプリントでした。良いですよね〜プリントは。iPhoneパノラマ写真もなかなかの仕上がり。あれだけのクオリティーがあればiPhone写真だけで一部屋分作品展示できるんじゃないでしょうか。スマホ恐るべし
 
 森の景色の一部を切り取ってみせる石田さんの作品は流石と思わせるものでした。自作されている木製の額縁が作品を引き立ています。森にはひとつの形は無い、いろいろなもの混じり合ってバランスを取っているということを表しているように、額縁も長方形だけではなく、さまざまで、それらが見事な調和を見せていました。
 
  ギャラリーそのものも良い造りなんですよ。ちょっとビックリするくらい。展示室は5部屋に別れていて、利用料金は1室×1日間 5,000円、5室×5日間だと75,000円だそうです。
 
 石田さんからは松本の旧家の屋根裏で昭和初期に撮影されたガラス乾板を発見し、それを世に出すまでの顛末を伺うことができました。
 

石田さんと
増村多賀司さん撮影 増村さんのfacebookページからリンク
 
 
横内勝司写真集  時を超えて」に纏められた写真がそれです。
 
 横内さんが生きたのは昭和初期(1902〜1936年)。
 
 彼が使用していたのはガラス乾板でした。イーストマン・コダックがセルロイド製のロールフイルムを発売したのは1889年、ライツ社が135フイルムを使用する、いわゆるライカ判のカメラ(Ur Leica) を試作したのが1914年I型が1925年に市販されているのですが、まだフイルムカメラが日本の一般のアマチュアに浸透するには至っていなかったのでしょう。
 
 Wikipediaをみると「日本では1931年に起きた満州事変を契機としたインフレで一般購買力が増大してアマチュアに写真が流行し、その際アマチュアは旧来の嵩張って重く不便な乾板カメラを避けてロールフィルムカメラを購入したので、たちまちロールフィルムが一般化した」というような記述があります。また故田中政雄氏は『クラシックカメラ専科No.2、名機105の使い方』の中で1935年を「乾板とロールフィルムの交替期に当たる」と位置づけていますので、横内さんはフイルム時代の本格的到来の直前に夭折されたということになりますね。
 
 流石に乾板写真機では、自然な動きの中で絶対非演出スナップなどは困難なので、もちろん「やらせ」「演出」はありなのですが、自然な様子を捉えたように見えるスナップ風の写真が数多く残されているのに驚きます。遠望した槍穂連峰の槍ヶ岳を目立たせるために、原版に手を加えた・・・今風に言うと「盛った写真」もあって、当時の横内さんの写真に対する取り組みの様子が身近に感じられます。彼が今の時代に生きていたら、ひたすら「インスタ映え」を追求しているかもしれません。
 
 石田さんが現代に蘇らせたこれらの作品は、昨年から、このギャラリールクランをはじめ、各地で展示されています。検索してみるとデジカメWatchの記事こちら)などでも紹介されてました。
 
 これからというところでは、2017年11月10日から16日まで名古屋の富士フイルムフォトサロンで写真展が開催されます
 
 写真集はギャラリーレクランでも販売されています。私は、どさくさの中、購入せずに引き揚げてしまいましたが、次は「ブレ・ノワール」でぜひ食事をして、買い求めようと思っています。
 
 あと気に入ったのは糸魚川の高野さんの「」の写真。特別なモノが写っていないような写真が好きなんです。掛け軸型のディスプレーで、画面の横を開放してあったのも絵に広がりが感じられて、とても良かったです。
 

2017年9月16日 (土)

写真展「澤田教一 故郷と戦場」@IZU PHOTO MUSEUM

 9月16日に、IZU PHOTO MUSEUM で開催中の写真展
 
  「澤田教一 故郷と戦場 」を観に行ってきました。
 
 
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 澤田教一は青森県生まれのいわゆる戦場カメラマン
 
UPIのスタッフカメラマンとしてベトナム戦争で活躍し、ピュリッツァー賞ロバート・キャパ賞も受賞した、戦場カメラマンの中では「スター」と言ってもよい存在 です。
 
 展示内容は、昨年青森県立美術館で開催された写真展をIZU PHOTO MUSEUMの会場に合わせて若干アレンジしたものだそうです。先月、日本橋の高島屋で、澤田教一展が開催されていましたが、それとはかなり内容が異なるものです。(高島屋には観に行けなかったので正確には分かりませんが)
 
 正確には、昨年の青森の写真展のタイトルには頭に"生誕80周年"という言葉がついておりました。生きておられたら80歳なんですねぇ。「故郷」とあるのは、澤田が戦争カメラマンになる前、故郷の風景や、三沢基地の様子を撮影した写真が今回初公開されているからです。
 
 なぜこの日に出かけたのかと言うと、生井英考さん(立教大学教授)、高橋しげみさん(青森県立美術館学芸主幹)×、小原真史さん(IZU PHOTO MUSEUM 研究員)の3氏によるトークイベントが開催される日だったからです。とは言っても、天気が良かったら行かなかったかもしれないんですけどね。台風の影響でちょうど良い天気?だったのが幸いしました。
 
 
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 以下はそのトークイベントで話されたネタを中心にした備忘録・・・です。
 
 2014年に青森県立美術館が澤田教一夫人のサタさんから、フィルムや電送写真原稿など、多くの資料を寄託されました。そのときフイルムのほとんどにはキャプションもなくバラバラの状態で、どれが、何時、何処で撮られたものなのか全く分からない状態だったのだそうです。
 
 それらを、出版物に掲載された写真や、撮影場所や日時の分かっている電送写真原稿と照らし合わせ、撮影場所と日時、撮影した順番を特定していったとのこと。これは大変手間のかかる作業で、立教大学の生井先生のゼミの学生の手も借りて行われたと話されていました。
 
 
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IZU PHOTO MUSEUM
 
 
 澤田はUPIという通信社のカメラマンです。写真を撮るのが仕事ですが、現像、プリント、セレクトは仕事ではありません。その仕組み故、必ずしも彼が世に出したかった写真が世に配信され世に出たわけではないのです。
 
 生井先生によると、たとえば通信社のカメラマンが米兵を撮影した場合は、名前、所属部隊、出身地を必ず確認して記載するのだそうです。それは、それが取るに足らない写真でも、その兵士の故郷の地方新聞に紹介すれば売れる可能性があったりするからなんですね。よく考えて見れば当たり前の話で、通信社は写真を売ってなんぼの商売ですから。
 
 今回手に入手できたオリジナルのネガを解析することで、配信、発表された写真だけからでは分からない「彼が何により多くレンズを向けていたか、「どんなタイミングでシャッターを切っていたか」が明らかになるはず・・・それが今回の企画の重要なテーマのひとつだったのだそうです。展示では、デジタルのスライドショーなども使い、撮影された写真をシーケンスで見せることによって、澤田本当に撮りたかったもの、伝えたかったものは何なのかが感じ取れるように工夫されています
 
 
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Patoriots Point Naval and Maritime Museum
サウスカロライナ USA
南ベトナムサポートベースの再現展示
 
 
 小原真史(IZU PHOTO MUSEUM 研究員)さんの話で、印象に残ったことはふたつ。
 
 ひとつは子供の頃、教科書か何かにかに載っていた「安全への逃避」の写真を、自分はベトコンの被害から逃げてくる農民の姿として認識していたと言っていたことです。私がこの写真に出会ったのは、撮影された背景も知っての上でしたので、そういう誤解はしなかったと記憶していますが、写真だけを見せられれば確かにそうですよね。
 
 
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私が澤田の名前を知ったのは写真を始めてまもなく、だから今から35年ほど前、青木冨貴子著のドキュメンタリー「ライカでグッドバイ」によってでした。今も手元にありますが、もう酸化しちゃって読む気にはならないですね。
 
 
 もうひとつは、ピューリッツァー賞受賞作であり、日本では超有名な写真「安全への逃避」が、世界的には忘れられた映像であるということです。日本に住んでいるアメリカ人何人かに聞いても「沢田の写真は知らない」と。試しにGoogle.co.jpで日本語でベトナム戦争の画像をググると数枚目に出てくる「安全への逃避」が、Google.comで”Viet Nam war"を検索したときには全く出てこない。これは軽くショックでした。
 
 ベトナム戦争の報道写真でピューリッツァー賞受賞作として有名なのは、テト攻勢の際、南ベトナムの国家警察長官グエン・ゴク・ロアンが解放戦線の捕虜を路上で撃ち殺す瞬間を撮影した「サイゴンでの処刑」や、ナパーム弾で大やけどを負い、全裸で逃げてくる少女を撮影した「Napalm Girl」(facebookで児童ポルノと認識されて削除された騒動が記憶に新しいですね)で、「安全への逃避」はこれらと比べて圧倒的に知名度が低いのですよ。絵としてインパクトが弱いというのがひとつの理由のようにも思えます。
 
 
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Patoriots Point Naval and Maritime Museum
サウスカロライナ USA
南ベトナムサポートベースの再現展示
 
 
 生井先生が最後にメディアによるミスリードの話をされました。
 
 1968年1月30日未明、暗黙のうちに休戦期間であるとされていたテト(旧正月)の期間に解放戦線が一斉に隆起して、サイゴンなどにゲリラ攻撃を仕掛け、アメリカ大使館などが一時的に選挙された、いわゆるテト攻勢
 
 解放戦線側にとっては成果の割に損害が大きく、作戦としては失敗とされているのですが、大使館等が占拠されたという事実の報道が、アメリカ市民に衝撃を与え、世論を「反戦」、「ベトナム撤退」に大きく傾かせるきっかけとなったのだそうです。
 
 現地から見れば、不意打ちでゲリラ攻撃をされれば、ある拠点が一時的に占拠されるのは当たり前のこと(今だって数人のゲリラや強盗に立てこもられるってことありますから)です。しかし、一般人は「大使館が占拠」されてしまうような事態が起こるということは、かなり劣勢だという判断をしてしまいます。これはベトナム戦争の終結は間近であると知らされていたアメリカ国民にとっては大きな衝撃だったでしょう。
 
 
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Patoriots Point Naval and Maritime Museum
サウスカロライナ USA
南ベトナムサポートベースの再現展示
 
 
 報道されたことは事実でも、受け手はこれまで持っている自分の知識、常識に照らし合わせて全体を理解しようと思いますよね。最近流行の言葉では「バイアスがかかる」というのでしょうか。ベトナム戦争の場合は、それが良かったのだと思いますが、そうではない場合もまた多いと思います。
 
 1965年9月6日に撮影された「安全への逃避」が世界から忘れ去られてしまっている理由は「絵としてのインパクト」の弱さはもちろん、「世論に与えた影響の小ささ」が大きいと思います。「サイゴンでの処刑」はまさにテト攻勢の際に撮影されたもの、Napalm Girlは北爆が再開された直後、1972年6月8日の撮影で、いずれも米国内に強烈な印象を与え世論を大きく動かした写真ですから。
 
 
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SS Alabama Battleship Memorial Park
アラバマ USA
ベトナム戦争でも活躍したT80戦車
 
 
 トークイベントの最後には元UPI写真部長の今城力夫さんが飛び入りで登場。澤田さんが亡くなったときの現地の状況などを話されました。沢田はプノンペンの南約30キロの国道2号線上で襲撃され、同行のプノンペン支局長フランク・フロッシュと共に命を落としています。おそらくその襲撃はクメールルージュの兵士によるものではなく、モノ盗りによるものだろうというのが今城さんの見解。当時のカンボジアは誰もが盗賊化してしまうような治安の状況だったとのことでした。
 
 自分のためのメモとして書いた部分もあって長文になってしまいました。
 
 またベトナムへ行きたい気持ちが強くなってきましたわ。
     もっとサイゴンを歩きたい。フエにも行きたい・・・。
 
澤田教一 故郷と戦場」は
静岡県長泉町東野クレマチスの丘内のIZU PHOTO MUSEUMにおいて、
2017年9月9日(土)― 2017年12月25日(月)開催。
大人 800円 でございます。
 
 
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いつの間にかこんなものが・・・@クレマチスの丘
 

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