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2018年11月 1日 (木)

富士山五合目に雪来る

10月21日の日曜日。
前日にかなり標高の低いところまで降雪があり、見た目では五合目まで真っ白な感じになりました。
 
おほほほほ (^0^)
 
 
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我が家の窓からの富士
 
 
10月の冠雪は珍しくはないのですが、積雪ラインが五合目まで下がるのは希だと思います、これは「黄葉の落葉松に新雪という美味しい風景が見られるぞ」と思って、富士宮口新五合目まで車を走らせました。
 
 
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富士山スカイラインの登山区間が「チェーン規制」になっていました。ほとんどの方はまだスタッドレスに履き替えてはいないと思われるのですが、皆さん躊躇無く登っていきます。中にはバイクも・・・・。
 
七曲がりあたりから道路に雪がチラホラ見え始めました。ところどころ凍結している箇所もあり、バイクはかなり危険な状態。私の前を走っていたバイクも、路肩に止まっていたライダーから「減速しろ」と身振り手振りで注意喚起され、転倒を免れたような状況でした。
 
 
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富士宮口新五合目駐車場
 
 
そういうあたしのCX-5もノーマルタイヤなのですが、一応この程度の雪はなんともなく、普通に五合目まで・・・。少し下の路肩に止まっていた車もあったので、途中で諦めた車もあったのかもしれません。
 
滅多に無いシチュエーションなので、駐車場が混んでいるかもと思ったのですが、ガラガラと言ってもよい状態でした。ちょっと意外。でもラッキー。
 
 
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車が駐められるのなら、もう登るしかありません。
 
 
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気持ちの良い雪の道を六合目方面に登ります。
 
 
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青い空、白い雪、そして落葉松の黄葉。
 
 
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極上の山歩き日和です。
 
 
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なんちゃって雪山写真が撮れるのが嬉しいです。
 
 
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いつもの場所で、雪景色の中の黄葉の落葉松を写真に収めます。
 
このあたりの落葉松は、吉田口の御庭・奥庭に比べると樹が若く貧相ですが、photographerがほとんど居ないのがgoodです。
 
富士山がいわゆる富士山っぽく撮れないので人気がないのかもねぇ。
 
 
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宝永第一火口
 
 
いいですよね〜。
こういう良い日に、良い山を歩けるのはねぇ・・・・
 
まだまだ元気なので宝永山まで登ってみることにしました。
登山道は砂道なので、いつもは蟻地獄状態でとても歩きにくいのですが、積雪のおかげで快適です。それでも最近滅多に歩いていないので、息が上がっちゃうのですけどね。
 
 
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宝永山の肩から富士山頂を望みます。宝永火口が巨大に見えます。
 
 
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宝永山山頂
 
 
宝永山から再び火口を通り、第二火口の縁まで行ってみました。
 
スマホでぐるりとパノラマ撮影。
 
 
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最も高い部分が富士山頂、その右の高まりが宝永山
宝永山と富士山頂の間に見えるのが宝永第一火口
宝永山の手前部分が第二火口です
(画像をクリックするとちょっとだけ大きくなります)
 
 
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雪の紋様がス・テ・キでしょ。
 
 
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ドーン・ドーンと朝っぱらから結構うるさいです
 
 
帰りは新六合目を通らず第二火口の縁から森の中の道を歩き直接新五合目駐車場へ。この周遊コースがアタシのいつもの散歩道です。手軽でお勧めです。
 
 
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一気に冬が来たようには見えますが、この雪も数日で消え、少なくとも南西側は、また雪のない富士山に戻ることでしょう。根雪となるのはまだまだです。
 

2018年10月23日 (火)

お財布紛失(T_T)

先日、財布を紛失しました。
 
 
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朝、河口湖のコンビニでプリペイドカードで支払いをしたのは記憶にあるのです。
 
その後、自宅に着くまでに車から降りたのは3回。
 
一旦帰宅してから数時間後、再び自宅を出ようとしたら、財布が入っていると思い込んでいたバッグの中にそれが無かったのです。
だいたいこういう場合は、車の中に落ちていることが多いのですよね。
しかし、全力で捜索しましたが見つかりません。
 
河口湖のコンビニには財布の届け出はなし。
 
 
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車を降りて少し歩いた青木ヶ原の樹海にも、もう一度行って、歩いた場所を遡ってみましたが見つかりません。
 
そう言えばどこでだったか、車をドアロックを忘れたときがあったっけ・・・
 
そのときに盗られた可能性もあるかも・・・・
 
 
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財布の中には免許証クレジットカードキャッシュカードプリペイドカードなどが満載。前日に歯医者に行ったばかりだったので、保険証まで。
 
現金はあまり入ってなかったはずなので、被害金額はさほどではないので、
財政的、精神的ダメージはほとんど無かったのですが、
カード類の機能停止と再発行の手続きが大変でした。
 
現金は盗ってもいいけれど、カード類は返して欲しいです。
 
最近、クレジットカードはオンライン口座であれば、web上からロックが出来るんですね。簡単に出来るので、これはなかなか便利です。
 
クレジットカードはひたすら電話
 
カードと免許証を一緒になくしたので、よく考えると恐ろしいんですよね。
電話での本人確認は住所と生年月日ですから。
これ、免許証を見たら分かりますもんね。
 
住所の分かる証明書と、クレジットカード、キャッシュカードの類いは別にしておいた方が賢明だと思いました。まだ一緒に入ってますがね。
 
再発行で大変なのが、免許証です。
運転免許センターで手続きすれば即日で再交付されるのですが、地元の警察署の場合には3weekかかるそうです。
免許無くした状態で、乗ってもいいとは言えません」と、紛失届けを出した警察署で云われました。そりゃそうですよね。
 
まぁ、そうそう免許提示を求められることはないから、乗ったって平気だとは思いますけど。
 
でもさ、サービス悪いと思いません? 
落としたは自業自得だとしても、強盗に盗られても免許不携帯で違反なんですよ。
 
赤切符切られて免許証取られても、その赤切符が免許証の代わりになるじゃないですか。だから再交付まで有効な紛失切符を出してくれてもバチは当たらないと思うんですがね。
 
あと、再交付のときに気がついたんですけど、
本籍が昔のまま・・・
本籍って免許証に記載されていないし、更新のときにチェックだってされないから、違っていても気がつかないんです。
 
すぐに変更ってのは間に合わないので、今回はそのままで(^^;;
結構そういう方、いらっしゃるのでは?
 
それにしても、こういうのって連動出来ないんですかね
マイナンバーって、この手の情報を連動させるのに使えるんじゃないんですかね。
思い返してみると、免許証の手続きにマイナンバーってのは必要ないんですよね。
縦割り行政ってやつか・・・
 
ヨドバシのポイントカードも、たまたま東京に行く機会があったので、再発行完了。
 
 
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nanacoなどのプリペイドカードは再発行してもポイントなどの引き継ぎが可能です。現金で財布に入れておくよりも、プリペイドカードにチャージしてしまったほうが、ダメージが少ないと思われます。もちろん紛失しないのが一番ですが。

2018年9月26日 (水)

籠城のスペシャリスト依田信蕃と田中城

3月の話を今頃アップします。
 
静岡県藤枝市にある、
   4重の堀を持つ円形の縄張りの平城として有名な
 
 田中城 のお話です。
 
 
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本丸櫓の中に展示されていた立体模型
 
 
facebookには記事をアップしたのですが、検索で引っかかるブログの方にもアップしておかなきゃいけないなと思いつつ、ずっとサボってました(^^;
 
このお城を知っている人はかなりマニアックなお城ファンかもしれません。
 
少しだけ武田贔屓のアタクシとしましては、
甲斐から遠く離れた駿河の地で、
  武田滅亡のそのときまで頑張った城
      としての印象が強いです。
 
だから是非とも訪れたいと思っていました。
 
   痕跡程度しか残ってはいないのですけどね。
 
 
4重の堀になったのは江戸時代のこと。
武田時代は最外周の四の堀はありませんでした。
三の堀の外側には武田流城郭の特徴である丸馬出があって、今もその遺構をみることが出来ます。
 
 
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三日月堀(馬出曲輪)の遺構
 
 
 時は天正10年(1582年)、田中城の城将は、
 
 籠城のスペシャリストこと依田信蕃(よだのぶしげ)。
 
 依田信蕃は長篠の戦いの後、孤立無援の二俣城を徳川軍の攻撃から6ヶ月間守り続け、家康から全員助命の条件提示引き出してようやく開城。このとき、城内を清掃し整然と退去したという逸話が残っています。
 
 6ヶ月間、孤立無援で籠城し、人も物もボロボロになっているところで、綺麗に掃除するって凄くないですか???
 
 田中城も、武田氏崩壊後に開城しています。落城はしていないのです。このとき家康から仕官のオファーを受けますが、「武田勝頼の安否の詳細が判らない内は仰せに従いかねる」と一旦断り、本拠信濃国春日城に帰ったそうです。
 
 
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本丸は今は西益津小学校となっています。
1872年創立。サッカーの名波浩の母校だそうです。 
 
 
 そんな逸話から、アタクシは依田信蕃を「籠城のスペシャリスト」と呼んでいるわけです。しかし逆に攻めは苦手だったらしく、田中城開城からおよそ一年後、徳川方の武将として参戦した北条方岩尾城攻城戦で、実弟信幸とともに銃撃を受け死去しています。享年36歳。奇しくも、ノブシゲ、ノブユキという兄弟の名は、同郷のあっちの兄弟と同じですね。
 
 家督を継いだ遺児・康国には家康から松平姓と小諸城6万石が与えられたそうです。このことからも、信蕃は家康にその人柄と功績(1年しか仕えていないのにね)を認められた武将だったことが伺えます。長生きすればもっと歴史と記憶に残った武将かもしれません
 
 
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 城の東側にある下屋敷跡が公園として整備され、かつては本丸にあった櫓が移築されています。入り口には案内所がある、パンフレットがいくつか置かれています。ボランティアの方がいらしたので、いろいろ説明してもらいました。
 
 裏手に駐車場があるので、田中城攻城にはそこを利用すると便利です。日曜日というのに、車は私の1台だけでした。
 
 
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春には桜が綺麗そう。
右に見える建物が本丸櫓です。
 
 
周辺は宅地になっていますが、まだ田圃が残ります。
 
湧き水がやたらに湧くんだそうです。
 
堀の水は城内からの自噴。
 
田圃の中の田中城。
 
堀以外の土地は田圃でグズグズ。
 
足止め食っているウチに土塁の内側から射撃。
 
きっと、これが堅城であった理由でしょうね。
 
同じく、主家滅亡まで守り切った相模の忍城と似ているのではないでしょうか。
 
忍城は映画「のぼうの城」で有名になりましたが、田中城は地味なまま。
田中城も依田信蕃も、もっと知られてもいいかなぁと思いました
 

2018年9月22日 (土)

Fringer EF-FXマウントアダプター

 もう2ヶ月近く前の話なのですが、FringerのEF-FXマウントアダプター購入しました。
 
 FringerのEF-FXアダプターには「pro」と「standard」の二種類あり、 「pro」はマウント側に絞りリングがついています。「standard」は絞りの調整がボディー側でしか出来ません。でも、絞りを変えながら動体を撮影しようとか、そんな用途でない限り、「standard」でいいのではないかと思います。私も「standard」。
 
 
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X-T10 + EF 70-200mm F4L USM
 
 
そして、「EF 70-200mm F4L USM」 を現役復帰させました。
 
もちろん、EOS用レンズは他にも色々持っているのですけれど、何れもでかすぎてT10やT20のマウントがもげてしまいそうなんですよね(笑)
 
 
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X-T20 + EF 70-200mm F4L USM
 
 
 ところで、この「EF 70-200mm F4L USM」は1999年 8月の発売で、私が購入したのも随分前なのですが、このレンズは今もラインナップされているんですね。
 
  後継機種がIS(ブレ防止)機能付きだったため、IS無しバージョンとして生き残ってるんです。
 
 そろそろ発売20周年じゃないですか。これには、ちょっとびっくりでございます。
 
 
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X-T20 + EF 70-200mm F4L USM
 
 
 オールドEOSだからなのかAFの動きがあまり良くなく、MFでの使用がメインにはなりますが、それでも想像以上に画質は良好です。
 
 
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X-T20 + EF 70-200mm F4L USM
 
 
 実は、沖縄旅行用にFJIFILM Xシリーズの廉価望遠ズーム「XC50-230mmF4.5-6.7 OIS II」を購入して持っていったのですが、画質は「EF 70-200mm F4L USM」の方が上かもしれません。
 
 
20180917dscf0738 
X-T20 + EF 70-200mm F4L USM
 
 
 このレンズはもともと手ぶれ補正がついていないので、手ぶれ補正の効果は不明です。そのうち他のレンズで試してみようかと思います。
 

2018年9月17日 (月)

フルサイズミラーレス時代

NikonCanonからフルサイズミラーレスシステムが発表されておりますね。
 
Nikon ZとEOS R
 
それぞれ9月、10月に発売という、なかなかのシンクロぶりです
 
SONY α7の発売から5年もうこれからは一眼レフでは戦えないという認識はどちらも同じだったのでしょう。
 
 
20180917dscf0542
 
写真は本文と関係ありません。
 
基本仕様は
 
Nikon Zが
 4575万画素、max9.0コマ/秒、max感度 ISO 25,600
D850 (2017年9月発売)の
 4575万画素、max7.0コマ/秒、max感度 ISO 25,600
とほぼ同じ。
 
EOS Rが
 3030万画素、max8.0コマ/秒、max感度 ISO 40,000
 で
EOS5DⅣ (2016年9月発売)の
 3040万画素、max7.0コマ/秒、max感度 ISO 32,000
とほぼ同じ。
 
発売時期に差があるわりには、進化させてないなぁ・・・という印象も受けますね。
スペックを詳細に見たわけではありませんが、「驚き」はないような・・・。
レンズ資産があるとはいえ、最近はマウントアダプターが進化してますからね〜
大丈夫なんですかね。
 
一眼レフからミラーレスへの転換って、たぶんレンジファインダーから一眼レフへの転換に似てるんだと思うんですね。
 
一眼レフの実力を世界に認識させた名機「ニコンF」の発売が1959年、レンジファインダーの完成形と云われた「ライカM3」が生産されたのは1966年まででした。
 
ライカも1965年に一眼レフ「ライカフレックス」を発売してます。しかし、このカメラは「素通しファインダー」という一風変わった仕様で、中央のマイクロプリズム部分でしかピントを合わせることができないものだったそうです。露出計も外部測光という時代遅れの代物。当然ながら売れない・・・・。
成功体験を引きずった王者からの転落コースの典型(^^;;
 
何度かモデルチェンジした後、結局、1976年にミノルタXEをベースにしたR3を発売、1994年のR7までミノルタ機ベースの機種が続きました。欲しかったなぁ・・・ベースになったXEもXDも好きなカメラだったんですよね〜。
 
話が脱線しましたが、そういうことにならないように、2社には頑張って欲しいものでございます
 
 
20180917dscf0651
 
写真は本文と関係ありません。
 
 
で、また脱線したほうに話を戻しますけど(笑)
 
ライカって、デジタルへの転換はびっくりするほど早かったですよね。
あたしはM型ライカって、フイルムと心中するのかと思ってましたから。
2006年9月発売の「ライカ M8」で、シリーズ名称も変えずにシレッとデジタル化しちゃった。これには驚きました。過去の教訓が活かされたのでしょうか。
 

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